弥太郎のよしなしごと

21歳の大学生がお送りする駄文

「雲をなぞる」 第1回 政治の距離感について浅く触れる。

 最近どうも色々なことをあらかじめ言葉にしておく必要性、有効性を感じている。とっさに話を引き出す時にそれを一度文章にしておくかしていないかで大きくスムーズさに違いが出てくると思う。何にもないところからすらすらと言葉が出てくるほど頭なんてよくないのよ。

 

 題して。「雲をなぞる」。

人間の最も根源的な感覚は触覚である。未知のものをなぞることによってそこに輪郭を与え、認識してきた。言葉に先立つ認識方法である。言葉では捉えきれないような、そんなところまで輪郭を与えていきたい。しかし、このブログにおいては言葉で認識を押し広げるのであるが。

 

 ツイートは友人らにばれるが、スマホのメモに残すというのもほかの思考の渦に飲み込まれて見えなくなってしまうから、久しく使っていないこのブログに投げようと思うのである。

 

 ここに書くのは心を動かされたこと。プラス方向でもマイナス方向でも。

 

 第1回は政治について。しかし、これは私の政治的信条を示すものではなく、現代の若者ひいては私自身にとって政治とはどのような位置にあるのかを、文章にしておくだけである。目的は意見を展開するよりも意見を文章にして整理することだ。

 

 2日ほど前(2024年5月あたま)である。Twitterで元乃木坂46山崎怜奈の発言が物議を醸していた。

例のイスラエル問題。早稲田大学の構内でデモが行われたそうだ。それに対する山崎怜奈の発言は以下のとおりである。なお、私の記憶をもとに再現したものであるので、多少の違いはあるかもしれない。

 「デモというものはコスパが悪い。せっかく難しい大学に苦労して入ったのだから、その大学を退学になるかもしれないというリスクを抱えるデモという運動に意味はあるのか。どこまでデモは効果を見込めるのか」

 

 まあこんなことを言っていたはずである。さてそれに対する反対意見、苦言をいくつかピックアップしてみよう。

 

 ・異国の地で強いられている誰かのために退学覚悟でやるんですよ。

 ・市民活動ってそういうものじゃない。損得で考える意味がわからん

 ・デモ行動自体が反社会的なものととらえている。そんなことないのに。

 ・権力への変更こそが民主主義の根幹である。 

 

 さて一つ目。「なぜ?」この一言に尽きる。なぜ名前も知らない誰かのために自分がリスクを負わねばならないのか。

 二つ目。大層な主義をお持ちでおめでたいものだ。その主義、市民活動の目的とは何か。仮に民衆がより幸せに暮らすこと、なんて言うのであれば損得を目的としているから矛盾している。

 三つ目。反社会的なイメージありますよ。これは私のイメージだけれども、おそらくそう考えている若者は多いのではないだろうか。

 四つ目。その根幹多分揺らぎ始めていると思う。昔はそうだっただろうけれど、時代は変わった。

 

 政治的な発言は忌避される。それは現代の日本における自民一強の政治体制が少なからず影響しているだろう。まあ自民含め、ろくな政党がないという話はさておき。自民以外を指示すれば異端扱いされるだろうし。

 

 しかし、客観的な視点で見て大多数が最もまとも最もましだと感じるから自民党には票が入るのだろう。

 そうすると、野党は異端という認識が広がる。実際、ひどいもんである。パフォーマンスだか何だか知らないがドン引きする言動ばかりの政治家も本当に多い。

 

 現代の若者が感じる政治に対する関心の薄さは、勝利が確約された余裕の上にふんぞり返っている、じじいどものクソ集合という現状に対するあきらめに近いだろう。

 

 いやあきらめではない。完全に無関心なのだ。例えば自分が投票してもしなくても自民党多数の政治が変わらない。どうだっていい。

 

 現代の日本人はある程度満たされている。特に若者とされる世代にとっては戦争どころか、学生運動の盛んだった60年代、70年代すらも生まれる大昔のことなのである。

 今の中年以上の人間は若いころ、終戦を機に大きく変わったイデオロギーに対する不信と危機感が行動や思想の根底にあったのではないだろうか。行動を起こさなければどうなってしまうかわからないという切羽詰まった状況。共産主義に染まる人間が多かったみたいな話もうなずける。

 

 しかし、今の私たち若者に危機感などない。他国で戦争が起きようがどこ吹く風である。私たちに直接的な被害がないから。平和ボケしているのである。

 

 そんなわけであるから、デモという行動に意味を見いだせないのである。

 

 今の若者に大事なのは社会の大きな流れから脱落しないこと。

高校、大学まで出て、ちゃんと就職し、死ぬまで働く。この多数派のレールから外れてしまえばどんな爪はじきにあうかわからない。

 

 そしてその大きな流れを生み出したのは上の世代だろう。責任転嫁するなって?いや、しかし、今の中年以降の人間だって、自分の子供にはそのルートをたどってほしいと思うでしょう?ひどく平均化された時代だよ。

 

 しかし、考えてみると、例えば自民党支持者であっても、自民党が公約として掲げているようなことを発信し続けること、口に出すことも憚られる。なぜだろうか。与野党関係ないのかもしれない。

 

 1つずつ丁寧にさらってみよう。もうすごく眠いのだけれど。

 

 まず、中高年世代がもつ政治への関心や危機感は若いころに感じた危機感のようなものが少なからず影響しているのではないか。(その理由付けが間違っていても、若者と比べて政治的関心が高い人が多い)

 

 そして、若者は政治的関心が少ない。

なぜか。それは政治に深くかかわらなくてもある程度の生活は保障されているからである。危機感の有無である。

 

 私たちがどう生きるか、という考え方から私がどう生きるかという個人志向に考え方が変化したということも指摘できるかもしれない。

 

 まあでもそれで山崎怜奈の件は説明できるな。批判していた人のほとんども中高年と思われるアカウントだったし。

 

 共同体意識の喪失だよね。個別化した現代。次回は個別化に関して考えてみてもいいかもね。