幼年巡礼

私は高校2年生の初めに生まれてからずっと住んでいた埼玉を離れ東京に引っ越した。埼玉の高校に通っていたため埼玉県にはよく行っていたが、

かつて住んでいた越谷に行くことは全くなかったと言って差支えないだろう。あ、私は今21歳ね。だから5年というのは20代前半の私にとってノスタルジックな感傷に浸るに十分な時間なんですよ。

 

1月8日、彼女の成人式のために埼玉へ行ったついでに越谷や蒲生、新田の思い出の場所をいろいろ巡ったのだった。

ちなみにこの雑記録は先日購入したもののまだあまり使えていなかったiPadのスマートキーボードの慣らしを兼ねる。

 

基本的には自己満雑記録となろうことと思われる。

さて、南越谷の駅周辺を歩く。

 

新越谷の旭屋書店

私の親は自分の買う小説によく金を出してくれたものだから、私は学生時代本に困ることなく自分の読書欲を存分に満たすことができた。いま思い返すと何と恵まれた環境であろうか。親が私の本に投資してくれたのは高校時代の恩師の言葉によるそうである。自分の子供には本を買ってあげなさい、図書館の本でなく本を所有させなさい、と。母親が何を思ってこの教えを実行しようとしたのかはわからないが、このような経緯で私の本棚にはかなりの本がある。本を持つことの所有欲を満たす以外の効果とはなんだろうか。いつでも読み返せることだろうか。おそらくそんな話ではない。私は本棚の膨大な量の本を見るたびに自分を肯定されているような気がする。今まで読んできた本は漏れなく自分の血となり肉となっている。自分を見失いそうになった時に絶対に揺るがない確かな自信としていつでも自分の味方でいてくれる様な気がする。母は恩師の言葉の意味するところ私に語らなかったが、おそらく恩師の真意このようなものなのではないだろうか。

 

 

イオンの小さなゲームセンター

かつてダイエーだった街の小さなショッピングモール。自分が物心ついた時からすでにお世辞にも綺麗とはいえない、かなり老朽化の進んだ建物である。コンサートなどに使われる程よい大きさのホールを併設したショッピングモールで、屋外の広場があり子供の遊べる土管のようなオブジェがある、そんなショッピングモールに旧式のゲーム機や、全く物欲をそそられないキャラクターもののポーチなどを景品としたUFOキャッチャー(これももちろん旧式)をいくつか設置したゲームセンターがある。ゲームセンターというよりゲーム機のある広場といったほうが良いのかもしれないが。そこにストリートファイター2が置いてあり、高校時代よく学校帰りに寄り道したものだった。寄り道といっても学校のある大宮から電車で40分ほど離れた地元のゲームセンターだからもちろん友人は連れず1人で寄っていた。ただそれだけの場所であるが、現在住んでいる東京の人の多い街にはないいい感じに寂れた雰囲気は埼玉に住んでいた当時から感じており、他に新しいゲームセンターも存在していたにもかかわらず幾度となく通っていた。

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商店街

昔通っていた小学校の近くにある商店街。私が小学生の時分からすでにシャッターの降りた店が多く寂れた雰囲気を漂わせていたが、数年振りに訪れた商店街はさらにその様相を強めていた。建物自体が取り壊され跡地が駐車場になっているところも散見された。あまり集客も見込めないであろう立地であるから新しく店はできないのだろうと思わないこともない商店街である。

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 その商店街の半ばを曲がると私が通っていた小学校がある、いや、あるはずだったというのが正確だろう。私の通っていた公立小学校は二つの小学校が隣接しているという(たぶん)珍しいものであった。確か元々存在した蒲生小学校の生徒数が増えすぎたために新たに隣接する小学校を作った(私の通っていた蒲生第二小学校である)という経緯であったと思うのだが、その二つの小学校が一つになっていた。校舎の古い蒲生小学校の校舎を取り壊し、比較的新しかった第二小の校舎を残し、第二小学校の名前を撤廃して蒲生小学校として一本化されていたのである。どことなく寂しさを感じる。商店街から小学校の方に向かう道の入り口には二つの小学校の校名を掲げた石の標が建っていたのだが、そこにはもう蒲生第二小学校の文字はない。

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柘榴の木

そんな蒲生小学校(旧蒲生第二小学校)の校門を入ってすぐ左手に小さな池がある。ビオトープとして人工的に作られた池であるが、そのほとりに一本の柘榴の木がある。私が小学校2年生くらいだったと思うが、新しく赴任してきた若い女の先生が昼休みにこの木から柘榴の実を取って食べていたのだった。彼女の周りには数人の児童がいて一緒に柘榴を食べていた。当時私は柘榴の実を見たことがなかったし、入学してから毎日目にしていた木がこんなにも不思議な実をつけるのかと吃驚してその場に立ち尽くしていた。そんな私に気がついた女教師が一緒に食べるかと声をかけてくれたため私もその輪に加わった。美味しかった記憶があるが、それ以来柘榴を口にしていないからどんな味だったか思い出そうにも思い出せない。

幼年の記憶には意外と当時心に残らなかったものが何年も経ったのちにふと強く思い起こされるものがあると思う。この柘榴の記憶もつい半年ほど前に耳鼻科の待合室でふと思い出されたものであった。人間の記憶は年月と共に正確性を欠いていくものであるから、思い起こされたこの記憶が果たして本当の記憶なのかそれとも無意識に捏造されたものなのかわからないでいたが、葉や実を落としたその木に一つの柘榴の実を見たとき朧げな記憶が急に色づいたのを感じた。

f:id:en123:20240108195858j:image(見えますか、ほらひとつの果実)

これを書いている今思い出したがこの木に実ったまだ小さい柘榴の果実を小さい私はタコさんウインナーと見紛ったのだった。それがまるまると大きくなることを幼少の私は想像できなかったのだろう。

 

児童館

私は中学受験をしたものだったから小学校時代に友人と遊んだ経験があまりない。だからほんの少しの友人と遊んだ記憶が強く残っていることが殊に小学時代において結構ある。まあそんなことはいいや。児童館に関しても何回か友人と遊んだ記憶が強く残っているけれど、それとは関係なしに幼稚園児くらいの時から親に連れられたびたび訪れた場所であるため思い入れは一入といったところだ。この児童館、1階は幼児向けのスペースだったりレンタルスペースだったりでそこまで思い入れはないのだが、2階と3階はよく遊びにきた思い出があり、久しぶりすぎて(たぶん小学校卒業以来一回も行っていない)なかなかノスタルジックな感じだった。ちなみに2階は生物の展示、3階は科学の展示だ。児童館に展示されるレベルの生物にはそこまでの興味が幼少期からなかったし、大人になっても特にそこは変わることもなかった。生き物という絶えず動き続けるものは常に新鮮な気持ちで見れるためあまり懐かしさを感じることはない。つまり2階の関してもそこまで書くことはない。さて特筆すべきは3階。私が小学生くらいの時から全く変わっていない!全てが自分の記憶のまま。この街を歩き、商店街は寂れ、小学校はなくなっていたが、全く変わらないものがここにあった。

写真の奥には地球と生命の誕生に関する映像を観れるスペースがある。あまり人もいない3階の奥で映像のスイッチを押す。程なく映像が始まる。47億年の時が恐ろしいスピードで流れていく。私はそれを眺めることしかできない、その流れについていくことはできない。気がつくと隣に小さな男の子が座っていた。何を思ってこんなもの観ているのだろうか。小さい子供が見て面白いと感じるようなものでもあるまい。

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綾瀬川の河川敷を歩く。日本で一番汚い川だと聞いたことがある。水質改善に取り組んでいるみたいな話を聞いたこともあるからもしかしたらもう一番ではないかもしれないが。小さい頃綾瀬川のすぐ近くのマンションに住んでいたからこの河川敷にはよく遊びにきたものだ。幼稚園の頃ローラースケートで遊んだり、少し太ってしまった小学校4、5年生くらいの時に朝毎日走ったり、暇な時に散歩したりとかとか。あまり変わらないなー。草が少し生えて川のほとりに新しい小屋が立っているくらい。猫がいた。夕陽に照らされて気持ちよさそうに眠っていたけれど私が近づくと逃げてしまった。

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綾瀬川の河川敷に沿って歩くと昔通ったピアノ教室がある。幼稚園年中くらいの時から東京に引っ越す直前まで通っていたから10年以上通ったことになる、温厚だった先生元気で過ごしているだろうか。先生の自宅の一階が教室になっているからインターホンでも押せば会えたかもしれないがなんとなく気が引けてそのまま通り過ぎてしまった。

 

越谷市草加市の境になっている川が綾瀬川である。小さい頃綾瀬川のすぐ近くに住んでいたから小さい頃に電車でどこか出かける時は新田という小さな駅を使っていた。だから私の幼少期の野中でも特に最初期の記憶はこの辺の地域に散らばっている。まーでも幼稚園くらいの記憶はもう覚えていないこともほとんどだし、このブログも3000字を超えて飽きてきてしまったので一箇所紹介するくらいにとどめておこう。

 

ヨーカドー

新田駅の近くに存在するヨーカドーの店舗である。ネットで調べてみたところ5年くらい前に一度閉店して建物がもう変わってしまったそうであるが、建て替え前の建物にはかつて屋上遊園地が存在していた。実家を漁れば当時の写真が出てきたりもするだろうか。現在では絶滅しかけている屋上遊園地があまりにも自然な形で存在していたのである、小さい頃母親が漕ぐ自転車の後ろに乗って連れてきてもらったものだった。自転車の後ろに乗るくらいだから本当に昔のことだろうが、いつまで存在していたのだろうか。5年ほど前に懐かしくなって一度訪れたことがあったが、屋上に上がる階段はもう封鎖されてしまっていた。f:id:en123:20240115164000j:image(これは現在のものかつての面影もない)

f:id:en123:20240115164254j:image(これは2019年ごろに行った時の写真。屋上への階段は封鎖されている)

 

 

とりあえずこのくらいで投げてみる。気が向いたら加筆推敲を行うつもりであるが、いつになるかはわからない。