弥太郎のよしなしごと

21歳の大学生がお送りする駄文

消えゆく存在に思いを馳せる


最近空飛ぶ風船みない。遊園地とか行けばあるけれど、街で見かける機会はめっきり減った気がする。

最近ふと、小さいころ週末によく親に連れられたスーパーでよく浮かぶ風船を配っていたことを思い出したのだった。

私が小学校低学年くらいの時までは結構頻繁に配っていたような気もするがどうだったかしら。


幼稚園児の頃だったと思う。貰った風船を手に引いて上機嫌で親の運転する車で当時住んでいたマンションまで帰った。

マンションに着いて車を降りた瞬間に、小さく愚かな私は風船を放してしまった。高く高く上げっていく風船の赤い色彩をよく覚えている。

幼心に感じた唖然、絶望、無力。

幼かった私は大号泣で、部屋に戻っても泣き止まないほどであったが、そんな私に母は明日電車で探しに行こうか、と言ったのだった。


次の日電車に乗りこみ、2.3駅隣の急行の停まるそれなりに大きな駅まで向かった。

東京に引っ越してからは乗る機会のめっきり減った東武伊勢崎線
小学5年生の頃に東京スカイツリーができてからは東武スカイツリーラインという名称に替わったが、この時はまだスカイツリーの建設も始まっていない。

幼少期の思い出であるが、この電車での小旅行は結構鮮明に覚えている記憶の一つである。

ほんの数駅のわずかな移動であっても、小さな子供にとっては大きなお出かけだった。


さて、そんな小さな子供は、電車の先頭車両、運転席の前の窓から見える進行方向の景色に夢中になっているうちに、当初の目的は忘れてしまっていた。

電車を降りて駅にほど近いアパートの靴屋にあったガムマシンでガムを買ってもらったところで記憶は途切れている。


この頃。弟はまだ生まれていなかったし、父親は転職したばかりで忙しくしていたからずっと専業主婦の母親と二人だった。
なんかいろいろな記憶がよみがえってくるなあ……しみじみ
変わらないものはない。形あるものにせよ、不定形のものにせよ失ってしまったかつての姿を以てまた私の前に現れてほしい。
それができないから、今あるものの姿を切り取って保存したいという漠然としながらも鬼気迫る、強い思いに駆られる、。


ヘリウムガスで膨らませた宙に浮かぶ風船、屋上遊園地、駄菓子屋ここ最近なくなってきたものが思いのほか多いことに驚かされる。

まだ20年ばかりしか生きていない私であるが、私の子供の頃と今の子供ではその生活のあり方が大きく変わってきたのだろうと思う。
私にとって先にあげたものたちはノスタルジーを刺激される、いわば心の故郷のようなものである気がする。
そうしてそれらが少なくなればなるほどやはり郷愁が強くなるような気がするのだ。