『ゲンセンカン主人』を読みました


 先日、つげ義春氏の「ゲンセンカン主人」を読んだ。つげ義春氏の作品はそこそこ読んでいるのだが、この作品は中でも印象に残った。
 そんな「ゲンセンカン主人」、作中にどうも気になる表現を見つけた。(ストーリーとか紹介する気はない)以下に引用するその表現はゲンセンカンの主人とある老婆の会話に出てきた台詞である。
 
 ―前世がなければ私たちは生きていけませんがな。だって前世がなかったら、わたしたちはまるで幽霊ではありませんか
    引用 「ねじ式 夜が摑む」ちくま文庫

 

 この老婆の台詞の直前に「きっと前世の因縁でしょう」という台詞も見られる。
 

 これら前世にまつわる表現、なんか聞き覚えがある気がする…
 

 そうだ古文だ。高校とかでならう古典文学、その中に前世にまつわる言葉や表現がよく登場していた。
 例えば、古文単語の「契り」の意味は約束や男女間の恋愛の意味の他に前世からの因縁や宿縁、といった意味合いもある。
 受験勉強で古典文法を頭にたたき込もうと躍起になっていた当時は特に気にもとめることもなく、この違和感のある表現に無理矢理自分を納得させていたような気がするが、今回調べてみたところ、どうもこれには仏教思想が関係しているそうである。 仏教の輪廻思想はどこかで聞いたか読んだかして知っている。まさかこのように人々の意識の深くまで浸透していたとは思わなかったが…
 輪廻思想とは天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄という6つの世界をループし続けるという思想だったはず。一生の行いに応じて次に転生する世界が決まるという考え方。仏は悟りを開いてこの永遠のループから抜け出した(解脱した)存在であり、世界をループし続ける人々は悟りを目指すという。
 つまり仏は前世のしがらみとか、前世そのものから解放された存在であるってことらしい(多分)。

 話は「ゲンセンカン主人」に戻るが、前世がないものは幽霊のようであるという。なぜつげ義春はここを仏とか神様ではなく、幽霊としたのだろうか。私には幽霊は死者であるというイメージが強いからどうしてもその前世の存在を意識してしまう。ここで幽霊の定義を辞書を引いてはっきりさせてみる。

ゆうれい【幽霊】
(1)死者が成仏(じょうぶつ)できないで、この世に姿を現すというもの。亡霊(ぼうれい)   

              明鏡国語辞典  

 

え?死者ってことはもともと人間だったわけだから前世あるんじゃないの?
うーん成仏していないってことは現世に未練残して止まっているだけで、輪廻の輪っかからは外れていないんじゃない?

 

これは専門知識のない私が掘り下げても答えは出ない問いだな。

 

よし、それならこれで終わり!グッバイ!